※画像はFacebookより
part1からのつづき☆
出演者・・・Kohhy、鈴木雅之、橋本康成、近江陽一郎、鈴木勝大(敬称略)
橋本「僕らはCDとかレコードのなかでこの人たちの曲を聴くけれど、やはりこの二人、特にとりわけ言うけれど、生で聴いたときの届き方っていうのを本当に経験したら、申し訳ないけどCDのこと悪く言うわけではないが、もうダメ!生じゃないとダメ!っていうくらいの歌の届き方をするんでね」
マーチン「そこよ!」
橋本「で、そうするなかで、あなたがHold On Me がヒットして」
Kohhy「はい」
橋本「オリコンでも1位になって」
Kohhy「なったっけ?」
橋本「なったよ」
Kohhy「いや、9位だったと思う」
橋本「違うよ。シングルは8位だよッ」
Kohhy「8位か!?」
橋本「で、アルバムが1位なの」
マーチン「あなたマネージャー?!」
Kohhy「あはは!アルバムは1位でした!I'm Here」
橋本「ちっちゃい数は覚えてるんだよ、いろいろ。あのーゴジラの公開年度とかは覚えてる。それはいいんですけど、そのときに3枚目のアルバムで、小比類巻かほるが世の中に決定的に認知されるときに、もちろんHold On Me 入ります。だけど、そのアルバムの掉尾をかざる曲が、いまでもな?!」
Kohhy「うん」
橋本「Kohhyのライブの中で、Kohhyも大事にしてるし、そして数多くのKohhyファンがこの曲が大好きでしょうがない。それがI'm Here だということ。あのときはどういういきさつで曲を?」
マーチン「先ほど言った、スタッフのあだっちゃんが、彼経由で、イベントも含めてKohhyとステージをふんだりってのもあったわけじゃん。そんな中で、3枚目のアルバムの中で1曲、バラードを書いてくれないか?ってスタッフから言われたんだ」
Kohhy「うーん」
マーチン「Kohhyのことはもう分かってたし、だからなんとなく自分の中でこんな曲歌ったら良いんじゃないか?!っていうようなものは漠然とあったんだよね。じゃあ、俺で良いなら書かして!って」
橋本「マーチンが歌でも参加してくれてるけど、それ以前にマーチンが作曲してるってことだよね?これは。それはどういうふうに受け取った?当時」
Kohhy「そうね、シビレましたね」
マーチン「しかもね、アルバムのタイトルにもなったでしょ?!」
Kohhy「はいはい」
マーチン「それは俺ね、すっごい嬉しかった」
橋本「じゃあ、あの曲があったから、あのタイトルになったの?あのアルバム」
Kohhy「そうです!」
マーチン「そういうことだよね。だってそうじゃないと」
Kohhy「元々、カラーパープルの中のテーマで、私は何も持ってないけどI'm here っていう一言でコンセプトを」
橋本「ウーピーのデビュー作ね?」
Kohhy「そうそう」
橋本「はいはい。ウーピ-・ゴールドバーグの、スピルバーグのカラーパープルってやつ」
Kohhy「それをテーマにして1枚作りたいって。そしたら、何言ってんの?! クソガキって言われちゃって」
橋本「誰に?」
Kohhy「社長に」
橋本「当時のね」
Kohhy「当時のね。それを説き伏せて。ちゃんとした、真面目なアルバムを作りたいって」
橋本「あのね、思い出した!そのころね、歌は上手いのみんな知ってるわけよ。だけど、アイドルチックな売り方もされつつあって。そうじゃない?若い10代の女の子だもん」
Kohhy「そうよね」
橋本「すっごい抵抗して、ソウルが歌いてえんだ!っていう。歌いてえんだ、とは言いませんけど」
Kohhy「てえんだ、とか言いませんよ」
橋本「tender って」
Kohhy「ははははは」
橋本「だから、そこにいたときに、たぶん俺のまったくの偏見かも知れないけど、I'm Here無かったらKohhyは」
Kohhy「終わってたね!?」
橋本「あっち(海外?!別会社?!)に行ってたよ」
Kohhy「あっちには行きませんよ」
橋本「行ってたかもしれない。それぐらい転機になったんじゃないの?って俺は思ってるから」
マーチン「あの曲が?!そう言ってもらえると嬉しいな」
橋本「で、ちょっとここからはしょるしかないんで、ほんと申し訳ないんだけど」
Kohhy「はい」
橋本「あれが87年。そうでしょ?それを2011年になって、マーチンがディスカバージャパンという震災後に作ったメッセージアルバムでカバーをした。僕はほんとビックリしたんですよ。なぜ?」
マーチン「東日本で震災があって、そのときに進行していたレコーディングプロジェクトを全部、1回リセットしなおして、もう1回自分の中で届けたい思いを考え直してみよう、という時期だったんだよ。それでもう一度日本を、被災地を勇気づけたいとか、そんな思いになってディスカバージャパンという日本の日本語による曲を、自分なりの解釈で歌うことによって、思いが届けられればって思ったときにね、Kohhyに提供していた楽曲もそうだけど、タイトルのI'm Here も含めて、ここにいるよっていう気持ちはディスカバージャパンのアルバムの中でも伝えることができたな。何年もずっと音楽を作ってきて、絶対一人じゃないわけよ。音楽って作るときって。そこにスタッフがいたりして。このI'm Hereを歌うときは、絶対俺の心の中に、側にやっぱりKohhyいたものね」
Kohhy「背後霊ですか」
マーチン「違う違う違う。勇気として」
橋本「ちゃんとしなさい。今、いい風に話しいってるのに」
マーチン「そういう思いを、何か被災地に、もちろん青森に届けたいという思いがあったからこそ楽曲の中に入れさせてもらったんだよ」
橋本「すごいなあ、と思って。そういう意味ではさあ、Kohhyもあまり人には言ってないけれども、震災以降、実は被災地に足を運んでボランティア活動もしてきたじゃん」
Kohhy「そうですよね。ご一緒にしましたね」
橋本「俺してないけどね、一緒には」
Kohhy「えっ、三沢で」
橋本「それは後の話。自分で本当に被災地に足を運んでみて」
Kohhy「しましたね」
橋本「でもさ、そういうマーチンの気持ちもあるけど、自分が今まで歌ってきたI'm Here と、震災以降のI'm Hereという位置付けがあるけど、自分の中では二十何年間?! この歌と一緒に暮らしてきて、何か歌の意味合いとうのは自分の中で変わってくるものですか?年齢とともに」
Kohhy「まったく変わらないですね。うーん。最初に持っている全てだったりするのは、全部伝えようという気持ちでやってますね」
橋本「何だろう?そしたらI'm Here ってKohhyにとってどんな存在感のある曲になっているんだろう?」
Kohhy「代表」
鈴木「即答ですね」
Kohhy「私です!っていう感じかな」
鈴木「当時からずっとら変わらない?」
Kohhy「そうですね。やはりねI'm Here に関しては、すごい闘いがあったんですよ」
鈴木「闘い?」
Kohhy「ええ。あの制作と」
橋本「要するに自分がやりたい音楽と、周りがやってほしい音楽と。どっちが悪者でもないじゃない。でも、勝ち得たときの代表曲になるのかな?」
Kohhy「そうですねえ。非常に説得力がって、この曲自体に。メロディもそうですし、歌詞の内容、あと声の域、音域とか全て」
橋本「じゃあね、時間が迫っているので曲いってもいいですか?」
Kohhy「はい、どうぞ」
橋本「マーチンがちゃんと寄り添ってる歌ですよ。じゃあご本人から曲紹介いいですか」
Kohhy「はい、小比類巻かほるでI'm Here」
・・・曲の途中で
橋本「たいへんすいません。このままでいくと、ちょっとあのー曲が切れてしまう時間になって。これは誰のミスでもありません。私のミスで9時台に改めてかけさせていただきます」
マーチン「もう一度?嬉しい話しだ」
Kohhy「嬉しい嬉しい。だってこのあとマーチンさんのアドリブが出てくるんだもん」
橋本「そうだよ。アドリブ出てくるんだもん。それが出てくる前に曲が終わったらカッコ悪いだろ?」
Kohhy「ねえ」
マーチン「なあ」
橋本「やり直そう我々は」
Kohhy「ラジャー!すごいよ。うはははは」
橋本「さあこのあと9時台は、さらにみなさんからのリクエストほんとう一杯あるので、9時台一杯お届けしますし、I'm Hereももう一度かけさしてください」
Kohhy「ありがとうございます!」
橋本「えー そして、さらにはゲスト、スペシャルゲストがさらに9時半にスーパースペシャルゲストが登場することになっておりますので、よろしくお願いします。ごめんなさい。せっかくこれを本当気持ちを込めて、お届けするつもりが。みなさんもそういうつもりで聴いていたと思うんですがけど。改めて9時台にお届けしますんで」
♪笑顔をつくってたあ~
橋本「こっから出るんだよ。マーチンがさあ」
Kohhy「baby I'm here~」
橋本「ああ!いま出た!」
―CMへ―
part3へつづく☆
小比類巻 由来
神道の禰宜「比類《から始まり、祖は南部藩士。
1641年、木崎野牧御野守任命された時に「小比類巻《となり、小比類巻助右衛門さんが祖だそうです
無論 小比類巻 由来はアイヌ語ではありません。アイヌ語で検証済。
(インターネットが始まった頃に,掲示板で誰かがアイヌっぽい吊だと呟いた間違った情報が流れています)